面白柄とは、奇抜な柄が描かれた着物を指し、その図柄には近代という経験が融合されている。映画フィルムや飛行機など新しい技術のモチーフや、オリンピックなど重要な近代史の出来事。日清戦争(1894-95)や日露戦争(1904-05)で活躍した日本の将校など時代の英雄の肖像や、錦絵など伝統的な大衆向けメディアから絵葉書や新聞など新種のマスメディアをモチーフとした柄。帝国主義国家と化した日本が併合した台湾(1894-95)や朝鮮半島(1910)、そして中国東北部の一部を描いた地図。錨、紋章、神秘的な富士山、愛国婦人会の記章、日の丸、さらにファシスト政権下のイタリア国旗に描かれた十字紋、ナチスの鉤十字など、時代を映し出す多様なシンボルが面白柄に吸収され、取り入れられた。 面白柄の多くは、男性用の羽裏や襦袢にあしらわれていた。このことから面白柄は、権力側の男性が、私的な場で教養や愛国心を着物の図柄を通して表現するためのものだったと考えられている。男児には、力強さを象徴する着物が与えられた。しかし、家父長制の社会において男性以外にも面白柄を身に纏った存在がいた。芸者たちである。彼女たちは、男性の目線に合わせて会話をせねばならなかったからだ。乾淑子氏によれば、芸者の「粋」とは、男尊女卑の舞台裏で、世界情勢を知り、機知に富んだ応答をする、まさにこのような緊張感に基づいていた。古典や茶道などの伝統的な知識だけでなく、政治や国益に関わる問題も、近代の芸者にとっては知的なお題目だったのだ。
日露戦争下の1905年、大山巌大将が奉天(中国東北部、現在の瀋陽)に入城する場面を描いた羽裏。鹿子木猛郎による絵画《日露役奉天戦》(1926)が元になっているが、この羽織自体は昭和に入って生産されたものだと考えられる。

日本軍を貪欲な野蛮人として風刺している点で、興味深い作例。ブーツを履いたまま畳の上にしゃがみこむ軍人に対し、中国人と思しき怯えた人物が、餅の入ったお椀を差し出している。お碗には地名が記されており、日本がまさに清国を食い尽くそうとしている様子が描写されている。日本で作られたデザインであることに違いないが、帝国主義への批判的な姿勢がうかがえる。

ロシア将軍に扮し水に浸かった老人と、水雷艇と書かれたボートに立つ若い日本の水兵の風刺画が取り入れられた風呂敷。

裕仁皇太子(後の昭和天皇)が外遊し、当時の英国国王と馬車に同乗したという1921年5月11日付の毎日新聞の記事をそのままデザインとした袱紗。

雲と飛行機柄の赤い単帯と、戦車柄の青い半幅帯。きめの粗い素材が使用されていることから、絹や綿が入手困難となった戦争期の危機的供給状況を物語っている。


1901年に設立された愛国婦人会の徽章を全体に散りばめた帯。愛国婦人会は、上流階級の婦人たちが中心となり、戦争未亡人や傷ついた将兵を扶助することで銃後を守ることを目的とした団体。会員には、収めた会費に応じて等級の定まった徽章が贈られた。時折、会員の優雅で高価な服装を揶揄する発言も見られた。

古典的な武具は、男児にとって吉兆柄であった。深緑のオリーブ色は、三越など百貨店が売り出した流行色で、西洋由来のオリーブに由来し、勝利や平和を意味した。

西洋発の技術や娯楽との邂逅を示す本襦袢には、1932年から日本陸軍が用いた三菱重工製の九二式偵察機、1933年型のハーレーダビッドソン、そしてミッキーマウスのマンガ本が描かれている。化学繊維が用いられている。

戦時下の国民のあるべき生活態度が時間ごとに示されている。例えば、買い物を慎む様子、豪奢な格好をする女性を斬る忍者、芸者遊びを匂わせる三味線にはバツ印がつけられ、就寝時には戦地の兵士に感謝して眠る様子が描かれている。通常、面白柄は一眼で解読できる粋な図柄であり、このように細かく迂遠な図案は珍しい。

1932年に発足した国防婦人会の帯。万葉集の長歌を元にした軍歌「海行かば」を表現しており、自己犠牲を省みず、天皇に奉仕すべき兵士を讃えている。

日露戦争期の流行色であった薄紫色の縮緬。サンクトペテルブルクの街と、ロシアの戦艦「ツェサレーヴィッチ」とおぼしきシルエットが描かれている。

日露戦争期の流行色であったオリーブ色が使用された帯。

パラシュートと飛行機柄の木綿の端切と、旭日旗、城壁に翻る日の丸、「占領」という文字が全面にあしらわれた絣の布団側。布団側は嫁入り道具だったと考えられ、面白柄と家父長制社会の交差がここにあらわれている。花嫁に期待されていたのは、女児ではなく男児の出産であり、戦争柄は男児の吉祥を意味した。

ジュネーブのレマン湖に浮かぶ汽船と国際連盟本部パレ・デ・ナシオンが描かれたねんねこ。1933年、日本は抗議のため国際連盟を脱退した。さらに、日本列島と朝鮮半島の地図の上に「正義の日本!満州権益 国際連盟 認識せよ!」と書かれている。平和で放牧的な風景として、満州国が表現されている。日の丸の横で米国旗と英国旗がはためくデザインは、これらの二大国ならば領土侵略政策にも理解を示すだろうという日本の期待の表れなのかもしれない。

日本の傀儡国家満州国が見出しを飾った新聞紙面をデザインに取り入れた長襦袢。植民地化の鍵であり経済の原動力となったのは、領土を縦横無尽に走る鉄道だった。

1932年にロサンゼルスで開催されたオリンピックを記念した端切。このオリンピックで、日本は金銀メダルそれぞれ7個獲得したが、日本チームとして「戦った」選手には、台湾や朝鮮出身の選手が含まれた。2枚目の端切は、1933年に実行された漢口への入城と、前年の海軍陸戦隊による上海上陸作戦を双眼鏡から覗いたデザインの端切。日本製のカメラGeltoを描き加えることで、日本の工業力を誇示しているようだ。3枚目の端切は、1940年にヒトラーの先導で締結された日独伊三国同盟を記念した図柄。ニューヨークのエンパイアステートビル上空を飛行するドイツのユンカー製飛行機と、トランペットを吹く二人の少年が描かれている。

日清戦争期(1894/5)のものと思われる襦袢には、旭日旗、菊紋旗、海軍大臣旗、鵄が描かれている。黄海海戦中、軍艦「高千穂」の艦上に飛来した鵄が、瑞兆として天皇の上覧に与ったという逸話に基づいたデザインだろう。このモチーフは、金鵄が神武天皇を勝利に導いたという神話を人々に思い起こさせた。

1937年春、東京ロンドン間を約94時間で飛行した「神風号」を記念した一つ身。神風号の飛行は、朝日新聞社の愛国的なマーケティング戦略の一環として企画され、ジョージ6世の戴冠式に合わせて地球を半周した。


1932年に大阪と奈良で行われた陸軍特別大演習を報じる新聞記事がそのままデザインとなった絹の風呂敷。

中国を表現した塔の前にいる子供たちの元へ、白い鳩が向かっている。中国に向かう日本と、それを歓迎する中国という構図を明瞭に表現したデザインである。鳩はダブルミーニングのモチーフだ。日本古来の戦神の遣いであると同時に、西洋由来の平和の象徴として図柄に組み込まれている。

綿入半纏の裏地に、トン数が表示された日本の軍艦、日露戦争後の陸軍凱旋を紀念した葉書などが描かれている。

平壌の戦い(1894)を描いた安達吟光と尾形月耕による錦絵の一部を図柄に用いた襲下着。縛られた清国兵の傍らで、豊かな戦利品が手招きしている。

戦争柄の着物は男性用のものが多いが、昭和に入ると、女性用の着物も少なからず作られた。この袷は、質の良い銘仙を使ったもの。1930年に陸軍に導入された軍帽が絣風のデザインで表現されている。

上質な黒の五つ紋で、おそらく芸者が着ていたものだろう。裾には「駒の蹄」とあり、「酷寒零下三十度 銃も剣も砲身も 駒の蹄も凍るとき・・・」と謳う軍歌「満州行進曲」の一部を図案化したもの。軍帽と馬具に加え、鍔がデザインされており、自己犠牲を厭わず、屈服せずに最後まで戦い抜くという武士道のイメージが、近代の兵士と重ねられている。

日本列島、朝鮮半島、1920年に竣工した戦艦「長門」を描いたねんねこ。さらに、東城鉦太郎による絵画《戦艦三笠の艦橋に立つ東郷平八郎提督》(1926)から日露戦争時の場面を借用し、1936年の海軍作戦と関連づけて表現されている。日露戦争をモチーフにすることで、日本海軍の威信を高めることを意図していた。

ナチスドイツ、日本、イタリア、日本統治下の満州国の国旗を組み合わせたデザインの帯。



1940年、紀元二千六百年祭を背景に、画家横山大観は連作《海に因む十題》《山に因む十題》を発表。その売上を帝国陸海軍に献納した。この図柄は、献納金で購入された4機の航空機を記念したものだと考えられる。

*本ウェブサイト上の面白柄着物に関する解説はすべて『図説着物柄にみる戦争』(インパクト出版、2007年)を含む乾淑子氏の研究成果を参照しています。
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